生き方や働き方にも多様性を
昨日もそうだったけど、このブログでは時々ビジネス提案的なこともお話ししてるでしょう。
なぜだと思われます?
いろんな推量や疑念があると思いますが(笑)、いちばんは
多様性の具体的な実例を創っていこう
ということなんです。
多様性、多様性って、いろんな分野で叫ばれてますが、で、どうするの?というか、理念的な、それも一方的な論議がほとんどだし。
多様性って、別にそれそのものが理想でもないし、善でもない。
まず何よりも、人間の生き方や働き方の多様性がないことには、たとえば自然環境の多様性を守ることも難しくなる。
へえ、そんなことが仕事になるんだ…
と感心するほど、多様な仕事によって生活していける社会だからこそ、他では実現しないような多様な環境が作っていける。
その点、日本の社会はまだまだ後進性が頑固に残っている。
アタマが固いというか、常識の枠が狭すぎる。
というか、昔の日本人より狭くなりすぎてる。
たとえば、昨日ちょっとお話しした
コミュニティー・キッチン構想
にしても、昔はごく普通に慶弔事に行われていたことでしょう。
今はお祝い事もお悔やみ事も家族親戚単位になっちゃって、しかもその代理産業的な仕出し屋さんとか宴会・集会場ビジネスにお任せケースが一般的になってきてる。
そのために、またお金がかかる(消費税もばかにならない)し、地域住民のゆるやかなつながりなんかもできにくい。要するにお友達同士だけでつるむ程度の疑似社会しかできないんですよね。それがいろんな精神的な問題も起こしている。
私はいろんな仕事をしてきたので何屋さんという自己紹介ができないんだけど、まあ他の人たちの実生活や精神的な面でお役に立ててるのは、メンタル・アドバイザーと事業プランナーかなと思います。
この二つは一見関係ないみたいだけど、実は現実的な解決策を生み出すのにもってこいのくみあわせなんですね。長い経験を通してそれがよくわかるようになってきた。
初期には心理カウンセラーとかアート・セラピストという感じで対応してたんだけど、そういうのって何か違う。正常とか普通とかまともとか健常とか、そういう枠組みに収めるというか、改善するというのは、非人間的だなと思うようになった。
かといって、社会はまだまだ多様な個人の個性をゆったりと飲み込めるほどには成長してない。(明治維新でいったん日本社会は壊れましたから、まだ百数十年の社会なんですよね)
…ん~、話が重くなってきたな(笑)
また改めてお話ししましょう。
でも、とにかく、いろんな生き方・考え方があっていいし、その方が楽しいと思いますよ。そして、その多様性をイキイキしたものにするためには、ドグマやポリシーにとらわれず、いろんなアイデアを出し合って実際にやってみることから始めるといいでしょう。