しばらくおやすみします
いつも読んでくださりありがとうございます。
これまでほぼ毎日続けてきましたが、メンバー全員しばらく忙しいため休ませていただきます。
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LGBT社会は、実は昔からあった
最近、日本でもジェンダー(性差)の問題が広く論議されるようになっています。
が、性差というのが固定したものだと思い込んでいる人は、かなり無知な人です。
でも、ほとんどの人はそういう無知なおともだちのグループですね。(笑)
私はふつうの水準よりは多少詳しくは日本史の勉強をしたほうですが、男と女という概念しかない時代というのはたぶん明治維新になるまではなかったんじゃないかと思います。
もともと発生学的には男なんてのはいなくて、アンドロゲンシャワーをどれぐらいどんなふうに浴びたかで男的になるだけなんですね。
だから、体が男でも頭脳は女なんてのはごく当たり前の現象です。
というか、そもそも社会的な意味での男・女というのは、仮に決めたものでしかない。
ジェンダー・スキームってあるでしょ。
たとえば、暖色系の服を着るなんて男じゃない、みたいな。
今時、そんなことマジ主張してたらあほかと思われるだけですが、数十年前まではまだそういう人もけっこういたようです。
また、ドイツで「女らしい」というと、きちんと自己主張ができるひとのことをいうとか、社会によっても違う。
日本の国会とかで議論らしきことをしてる人たちの話は実に年寄り過ぎてつまらん!
ちなみに、多目的トイレが必ず設置されるようになってる傾向はたいへんよいことだと思います。男子用トイレに入りたくない「男子」だっているわけだし。ばいすばーさ。
ま、そもそも女性用トイレと男性用トイレもわける必要はないと思いますけど。(笑)
そういえば、食事系のお店とかで、個室だけど男女兼用トイレというのもちょくちょく見かけるようになってますね。
飛行機だって、男女兼用ですし。(笑)逆に男女それぞれあったらかえって笑えるかも。
印西自然絵画クラブの「筆」たち
印西市では、絵やクラフトの道具がとても入手しやすい。
ジョイフル本田のジョイフル2なんか特に便利ですよね。
たとえば絵の具の種類も半端ないし。
絵筆も種々様々ずらりと品揃え。
でも、絵の具や筆は自分でも作れるんです。
特に筆は超簡単につくれる。
というより、指先だって筆になる。
布やスポンジなんかを丸めたり切ったりしても筆になる。
アイスやお弁当なんかを買うとついてくるプラスチックのスプーンやフォークなんかも筆(というよりパレットナイフ?)になる。
実は、いきなり筆で描くことから始めるより、そういうオータナティブ(代用品)的な筆のほうが、面白い絵を描けることが多い。
自分でも意外な線や風合いが出せたりして、それはそれは楽しいですよ。
ソフトバンク圏外
今日、重要な面談があったのに、
ソフトバンクがつながらなくて、
数時間のロス+相手の方にもすごいご迷惑をおかけしました。
金銭的ロスも大きかった。
なれない道を延々迂回しなければならなくなったり、
とはいえ、私たちよりひどい目に遭ったひとたちも多いでしょうね。
火災通報や救急通報が遅れたり、命にかかわることもあったにちがいない。
ケータイ網がこれほど脆弱な国。。。
というか、キャリア?
儲けばっかり追いかけるような企業はこうなるしかないんですね。
ちなみに、某週刊誌によると、同社社長?は
銀行も驚く
12兆円有利子負債
とありましたけど、マジでしょうか????
あまりけっこうな「生き様」とはいえませんね。
「生き様」って何だろう?
かつて、「生き様(いきざま)」という言葉がはやったことがあります。
もともと日本語にはなかったのだけれど、「死にざま」という昔からある言葉に対して、前世紀の終わりごろにつくられた造語だそうです。
広辞苑によると「自分の過ごして来たぶざまな生き方。転じて、人の生き方。」というふうに、もともとはあまり見事とは言えない生き方のことだったのですね。
そういえば、「俺の生きざまを見ておけ!」などと粋がってる人は、自己満足もいいところで、実際みっともないと思うのは私だけでしょうか?
だいたい、見事な生き方というのは、ひとに見てもらうためのものではない。
自分自身で納得できる、そして心から「生きていてよかった」と思えるような生き方でしょう。
途中経過の「生きている様子」は、自分には見えないものかもしれませんね。
「俺の生き様」なんて、ただのこだわりや思い込みだったりして…。(笑)
アートの貧困
アートというと、ふつう芸術のことを指しますが、英語のart やフランス語のars などには「技(わざ)」という意味もあります。
Oxford Living Dictionaryを見て見ましょう。
A skill at doing a specified thing, typically one acquired through practice.
(あることをする技、特に修練を経て得られる技)
実は、この意味がもともとの「アート」なのです。
〔語源辞典によると、13世紀初頭に"skill as a result of learning or practice"(学習や練習の結果として身に着く技)として、古期フランス語から英語に取り入れられたようです。〕
さらに語源をたどると、「巧みな組み合わせ」という意味の語根 ar- から発展して、「マナー」や「モード」といった含みもあります。
こうしたことから、私はアートとは「見事さ」という日本語に近いニュアンスをもつ味を持つ優れた言葉であり概念だと思っています。
モダンアートと自称する作品群のなかには、とてもじゃないけど見事とはいえないものが多い。
むしろ安直な思い付きでしかない、あるいは奇をてらっただけのものが多い。
というより、
お見事!
といえる作品にはまだであったことがありません。(笑)
ありがとう、と、テレマカシーの違い
マレー語は、マレーシアやシンガポール、ブルネイなどで使われている言葉ですが、
「ありがとう」はterima kasih(テレマカシー)といいます。
で、
terima とは「受けとる」という意味、
kasih は「愛、思いやり」などの意味。
つまり
terima kasihとは、文字通りには「あなたの思いやりを受け取りました」
という感じ。
…と、ここまではネットや雑誌などの記事でよく話題にされてる内容ですが、
実際に現地で「テレマカシー」とマレー語を使ったからと言って、必ずしも喜ばれるとは限らないんですよね。
経験してみればすぐわかりますが、日本人のように外国人が日本語をしゃべったというだけで大喜びしたり感心したりという調子で想像するのはちょっと…ですね、
たいせつなのは、その時の語調と仕草なんです。
これは文字だけでは学習できないですね。
とりあえず、右手を胸に当てて「テレマカシー」という練習をしておくといいかもしれませんね。