すごいぞ!印西

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絵画のパワー?

久しぶりに実家の父と電話で長話してました。

一昨日から東京に来てて、昨日、皇居での褒章式に出席してとんぼ返りということだけど、幸い両親とも元気そうでした。

 

連絡を受けたのは先週だったかな、適当に聞き流していたので(笑)なんとなく紫綬褒章かと思ってたら、藍綬褒章だったようです。

父は絵描きで、スペイン芸術院のゴールド会員だったりもするのですが、褒章は法務大臣推薦。絵描きとしての活動とはまた別の面での褒章だったんですね。

 

先週の電話でも、マスコミの取材やら市長の表敬(訪問したいと言われたのだけれど家がとっちらかってるので出向いたそうです(笑))を受けたりで、てんやわんやだったとか。

でも、本当は両親はここ印西市の市民のはずだったんですよね。

十年前から拙宅の隣接地に両親の家を建てることで話がまとまっていたのに、まだ契約不履行のまま。

両親も高齢なので、一日もはやく印西市民になることを願っています。

 

新しい陶板画

ご無沙汰でした、印西太郎です。

 

実は、数ヶ月前から陶板画の下絵を描きまくっています。(笑)

 

陶板画というのは、イタリアでも盛んなジャンルですが、そういうのとか、日本の小学校とかでやっている陶板画モニュメントみたいなのではなく、

壁画や鑑賞画にも匹敵する

独自のアート作品を!

一緒に創っていきませんかと、

幾人かの陶芸家の方々にお話してみたのですが、

そのなかのお一人から、つい先日

「できました!」

という知らせが。

その方は私の考えていることを深く理解されて、独自の色と風合いを追求なさってたんですね。

そしてついにそれに成功されたようで、さっそく拝見すると、、、

すごい!

素晴らしい色が出ていました。

普通の釉薬などではまず出ない色の数々。

風合いがまたいい!

長い月日をかけてようやく出た色合い。

奥様も、

「これをやっている間、とても楽しそうでしたよ」

と喜んでいらっしゃいました。

 

いいですね、アートって。

お金になろうがなるまいが、これほど豊かで充実した感触が得られるものはほかにはちょっとないんじゃないかと思います。

 

 

印西市の睡眠導入剤殺人事件と「未必の殺意」

印西市で起きたあの殺人事件の初公判のニュースが頻繁に流れていますね。

報道によると、容疑者は殺意を否認しているそうですけど。

 

未必の殺意(未必的殺意)という法律用語があります。

これは、確定的殺意に対して、もう少し軽い意味で「相手が死んでもかまわない」という感じで殺傷した場合に使われるようです。

当然、量刑もそれだけ軽くなる。

 

でも、今回のような薬物混入や、飲酒運転のような事案は、はたして殺意そのものより軽いと考えていいのでしょうか?

たとえば、何らかの恨みをもって相手を殺した場合は、もちろん確定的殺意ですね。

ところが、恨みも何もない、ただの通りすがりの子供たちを飲酒運転で死なせてしまうことが、それ以上に「軽い」ことなんでしょうか?

 

裁判員裁判が今問題になっていますが、もともとこれは専門家としての裁判官の判断基準が機械的すぎて、一般市民の感覚とはかけはなれたものになっていることから導入が急がれたものだそうですね。

試験・試験の連続で、個人が見えなくなってしまって、原理原則しかわからなくなった人間…彼らもまた不合理な量刑という「未必の犯罪」を犯し続けているのかもしれません。

 

 

 

コミュニティーって何だろう??

ここ数日、ちょっと隘路にはまりすぎた書き方で失礼しました。

そうですね、テクニカルな問題やビジネス系の視点より大事なのは、まず私たち住民であり生活者の視点ですね。

 

たとえば、今話題にしているコミュニティー蓄電システムにしても、まず住民たちのつながりとか意識の共有というものが基盤になってないと、住宅関連ディベロッパー中心の商売ネタになってしまうだけかもしれない。

 

実をいうと、現状の技術や商品だけでも、コミュニティー蓄電システムを作ることは可能です。

ただ、それをもっと安定したコスト的にもベターなものにするためにはどうしたらいいのかということを私たちは考えてるんだけど、今それをここで云々するのはどうかと思うようになりました。

 

そこで、これからは視点を戻して、住民意識について考えてみましょう。

端的に言って、コミュニティーとしてまとまりのある地域は、今は少なくなっている。

というか、昔ながらのコミュニティーは実情に合わない地域も多いし、かといって、新時代的発想のコミュニティー概念にもちょっとついていけないっていう人も多いはず。

 

そういう意味では、ゆるやかなつながりからくる安心感をかもしだすようなコミュニティーというのが、誰にとってもOKな地域社会かもしれないなと思います。

 

 

物理エネルギー変換型蓄電システム

私たちが今もっとも注目している、また将来性も優れている蓄電システムの一つが、

系統安定化フライホイール(Flywheel)蓄電システム

 

これは要するに電気エネルギーとフライホイールの回転エネルギーとの間の相互変換システム…とってもちょっとピンとこないかもしれませんが、充放電を繰り返しても劣化が少ないし、化学系蓄電池のように有害物質や資源浪費といったディメリットも少ない実にクリーンなエネルギー転換システムなんですね。

日本ではまだ開発が遅れているけれど、欧米ではすでに無停電電源(UPS)として実用化されてて、核融合用の電動発電機や鉄道の電圧降下対策にも使われているようです。

 

私たちチームは、このフライホイール蓄電システムの改良型を考案しました。

一応企業秘密の部分が大きいので詳しくはお話しできないんだけど、ここ印西市で現在も進行中の宅地開発の状況を見るにつけ、話を聞いて協賛してくれるディベロッパーがいてくれたらなとため息が出るばかりです。

ヒントだけ言うと、造成の段階から、私たちの蓄電システムを組み込み、その区域で希望される施主さんたちの家の電力を結集して蓄電し、使用するという企画です。

 

コミュニティー蓄電に向けて2

蓄電の方法は、現在実用化されているだけでもけっこう多種多様ですが、特に身近なものは、蓄電池でしょう。

 

そのなかでも家庭単位の蓄電としてもっともよくつかわれている蓄電池の代表が、日本企業によって開発されたNAS電池で、一般家庭数百世帯分の電気を貯めることも可能だそうです。

でも、それでもなお電力の完全な自給自足ができないのはなぜでしょう?

不思議ですね。

いろいろ理由や事情はあるけれど、最も大きいのは、家庭単位だとソーラー発電の波(太陽光の状態に左右される度合い)が大きすぎるのと、蓄電して保存しておける電力量と期間とに限界があるということでしょうね。

つまり、不安定かつロスが大きいわけです。

 

なので、私たちはコミュニティー単位での蓄電が最も有効かつ合理的だと考えています。

それだと、各家庭が電力ダウンした場合のフェイルセール(緊急対応)にもなるし、大幅なコストダウンが可能になるからです。

 

コミュニティー蓄電に向けて1

旧来の電力供給システムは、たとえていえば旧ソ連みたいな中央集権制度。

時代が進化するほど、実情にあわなくなるばかりか、なんとか機能しているようにみえても、実はどこかに大きなしわ寄せや負担をかけている社会制度なんですね。

首都圏の人たちは、福島にずっとしわ寄せしてきた。

そのかわり、ゼニをやるから黙ってろみたいな。

(関東以外の地方でも、どこも同じですよね。)

ひどい言い方に聞こえるかもしれませんが、事実そうしてきたし、そうしつづけようとしている。

 

これは感情論では済まされないことだと思います。

もっと知恵と技をつかって改善していかないと。

 

今日はそういうことを言いたかったわけじゃなくて、(笑)

電力供給システムは分権的システムのほうが効率的かつ合理的かつ安全という話。

 

送電線ひとつとってもわかるでしょう?

ご存知ない人が多いようですが、電磁波センシティブという体質の人たちが送電タワー近辺に住むと、精神にまで大きな障害をきたすことがあります。

高圧電流を遠方まで送ることそのものが、実は大きな(そして気づかれてない)公害のバラマキになっているのです。