外国人との共生社会
黒海でも、いや国会でも大騒ぎになっている
入国管理法改変は、そもそも労働力不足を補う方策ですよね?
法律で外国人を雇用しやすくするというだけでは
必ず社会問題が続出するし
外国人たちにとっても、
こんなはずじゃなかった…
ということになりうるでしょう。
人間同士だってことが大前提ですが、
文化風習、考え方、趣味やセンスのちがいというのは大事にしなきゃね。
そのためにも、互いのバックグラウンドを知り合うことにつながるような
姉妹都市ネットワークを広げていくといいと思っています
今も東南アジア諸国を旅している私たちの方から
情報提供していきたいと思います。
市当局の方々も、ぜひ真剣にとりあってください。
必要不可欠なことなのですから。
絵画セラピーとイジメ
あるいじめっ子のケースですが、
絵画を描くことの面白さ楽しさを覚えたとたん、
イジメそのものがばかばかしくなってきて
むしろいじめっ子仲間たちと付き合わなくなった。
要するに、簡単に言えば
「こんな楽しいことがあるっていうのに
イジメなんかやってるのは暇で馬鹿な連中だけだよな」
と思えるようになってきたんですね。
いいねいいね。
実際のところ、イジメる側にしてもイジメられる側にしても、どうでもいい他人とひつこくかかずらおうとしてること自体が人生の大損ですから。
ただし、どんな絵の描き方でもオッケーというわけではありませんけどね。
見えないものを見えるようにする?
クレーの母親は音楽家で、彼自身も音楽に親しんで育ちました。
彼の言葉のにとつに、
「芸術は見えないものを見えるようにする」
というのがありますが、別にそれほど難しいことを言ってるわけではない。
たとえば、紙の上に鉛筆でもクレヨンでもいいから、
トントントントン…と
リズミカルに軽く叩くように
先っぽを当てて、何かを描いていってみましょう。
なんでもいいんです。
こういうものを描こうと思わなくていい。
むしろ、その時の自分の気持ちとか、気分とか、ばくぜんとした体調みたいなものでもいい、とにかくなるべくものを考えないで、指先の動きから体全体の動きへと、意識を解き放って、それでいて集中させていく。
そうすると、あなたの無意識の一部が描き出されるようになってきます、
ね、見えないものが見えるように描き出されるって、たとえばこういうことなんですよ。
音楽は、聞こえないものを聞こえるようにする精神の営み。
それと同じことです。
アウトサイダー・アート
って聞いたことありますか?
Wikipediaをひいてみると、、、
アウトサイダー・アート(英: outsider art)とは、西洋の芸術の伝統的な訓練を受けていない人が制作した作品であるが、アートとして扱われているものを指す。
どういうのがアートで、どういうのはアートじゃないの?
となるとまた問題がややこしくなってきますけど。(笑)
こうしたアート概念を最初に提示したのが、
アール・ブリュットというものでした。
フランスのジャン・デュビュッフェが1945年にアール・ブリュット(生の芸術)と呼んだ、強迫的幻視者や精神障害者の作品は、1967年にパリ装飾美術館にて初めて展示され公的に認知された。
日本人にも世界に認められたアール・ブリュットのひとたちがいますが、世界に認められてないし日本でもあまり知られてない人もいます。
ただ、共通しているのは、ある特定のテーマにすっごくこだわった絵を次から次へと描いていくというタイプと、同じ絵を何度も描いたり、塗り重ねたりしてゆくというタイプがいるということかな。
いずれにしても、多数派の人たち(いわゆる普通の人たち)よりもはるかに特定のアスペクトへの執着が強かったり、洞察が深かったりするんですね、
いわば、適当に済ませることができない。
別の見方で言い換えれば、適当に済ませてしまえないほど大切に思っているのでしょう。
ただ、私はこういう要素は誰にでもあると思っています。
どんなに絵画の訓練をされた人でも、みんなアール・ブリュット的な要素をもっているんです。
たとえば、三越の包み紙のデザインで有名な猪熊 弦一郎氏なんかは、奥様に先立たれた後半生それで通しておられたという面もあるといえるでしょう。
猪熊氏はずっと亡くなられた奥様の面影を追い続けられたのでしょうね。
そして、さまざまな奥様の表情を並べて描いたりされてるんだけど、どのお顔も子供の絵のようなシンプルさをもっています。
脳の認識機能と犯罪
犯罪の常習犯のなかには、脳に機能障害をもっている例が少なくないようです。
たとえば、あるジャンルの性犯罪者で、再犯を繰り返していた人が、脳しゅようが見つかって手術したとたん、そういう性的妄想そのものが起きなくなり、二度と性犯罪を犯さなくなったケースもよく聞きます。
脳しゅようや脳内出血によるむくみなどで、脳の一部が圧迫されたとき、普段は抑えられている能力が異常なまでに発揮されることもあります。
サヴァン症候群って、聞いたことあるでしょう?
知的障害や発達障害をもつ大人や子供で、ごく限られた分野ではあるけれど、人並優れた特異な能力を発揮するというケースです。
たとえば、いったん見た風景などは、ちょうど写真撮影したように脳内に記録され、それを細部まで正確に絵に描いて再現できるという人たちもいる。
でも、実はこういった能力(の可能性)は、ほとんどの人がもっているんですね。
ただ、あまりに強烈にある能力を発揮してばかりると、脳内の機能バランスが崩れたり疲労して、言動まで異常になりかねない。そこで、通常は生理的に自然なブレーキというか、制御機構が働いているわけです。
天才と狂人は紙一重といいますが、
犯罪者と芸術家も、ある意味では紙一重なんですね。
だから、絵を描くことを覚えた常習的犯罪者が、絵に夢中になってからは一切犯罪に手を染めなくなったという実例も多々あります。
パレイドリア現象とお絵描き
昨日お話したシミュ楽ら(笑:シミュラクラ)現象は、
精神医学の世界でパレイドリア現象と呼ばれる脳の機能と深い関係があります。
空の雲とか、壁のシミとか、潮騒とか、なんでもない物や風景や音から、特別な意味のあるイメージを思い浮かべる、脳の働きとでも言えばいいでしょうか。
空耳アワーなんかも、原詩の意味がわからない日本人が聞くと、(全く関係ないけど意味のある)日本語に聞こえるという点では、その一種といってもいいかもですね。
お絵描きについていえば、レオナルド・ダ・ヴィンチは、手稿のなかに次のように書き記しているそうです。
様々なしみがついたり色々な種類の石が混じった壁を見たとき、何らかの風景を創作しようと思っていたならば、山、川、岩、木、平原、広がった谷、様々な丘で彩られた色々な風景との類似を見ることができるだろう。また、様々な戦闘や素早く動く人影、奇妙な表情の顔、異国風の衣装、数えきれないほどのあれこれも見てとれ、それらを個別の、納得がいく形に帰することができるのだ。
それは単なる空想とか妄想にすぎないかもしれないし、また自分にしかみえない現象を見つけ出す能力という面もあるかもしれません。
でも、いずれにしても、この能力がないと、あるいは過剰に働いたりすると、現実をうまく生きていくことが難しくなってしまうようです。
そこで、お絵描きを通して、適度なパレイドリアの能力を養ったり復活させていく
―それが、私たちの自然絵画セラピーの方法の一つです。