コミュニティー蓄電に向けて2
蓄電の方法は、現在実用化されているだけでもけっこう多種多様ですが、特に身近なものは、蓄電池でしょう。
そのなかでも家庭単位の蓄電としてもっともよくつかわれている蓄電池の代表が、日本企業によって開発されたNAS電池で、一般家庭数百世帯分の電気を貯めることも可能だそうです。
でも、それでもなお電力の完全な自給自足ができないのはなぜでしょう?
不思議ですね。
いろいろ理由や事情はあるけれど、最も大きいのは、家庭単位だとソーラー発電の波(太陽光の状態に左右される度合い)が大きすぎるのと、蓄電して保存しておける電力量と期間とに限界があるということでしょうね。
つまり、不安定かつロスが大きいわけです。
なので、私たちはコミュニティー単位での蓄電が最も有効かつ合理的だと考えています。
それだと、各家庭が電力ダウンした場合のフェイルセール(緊急対応)にもなるし、大幅なコストダウンが可能になるからです。
コミュニティー蓄電に向けて1
旧来の電力供給システムは、たとえていえば旧ソ連みたいな中央集権制度。
時代が進化するほど、実情にあわなくなるばかりか、なんとか機能しているようにみえても、実はどこかに大きなしわ寄せや負担をかけている社会制度なんですね。
首都圏の人たちは、福島にずっとしわ寄せしてきた。
そのかわり、ゼニをやるから黙ってろみたいな。
(関東以外の地方でも、どこも同じですよね。)
ひどい言い方に聞こえるかもしれませんが、事実そうしてきたし、そうしつづけようとしている。
これは感情論では済まされないことだと思います。
もっと知恵と技をつかって改善していかないと。
今日はそういうことを言いたかったわけじゃなくて、(笑)
電力供給システムは分権的システムのほうが効率的かつ合理的かつ安全という話。
送電線ひとつとってもわかるでしょう?
ご存知ない人が多いようですが、電磁波センシティブという体質の人たちが送電タワー近辺に住むと、精神にまで大きな障害をきたすことがあります。
高圧電流を遠方まで送ることそのものが、実は大きな(そして気づかれてない)公害のバラマキになっているのです。
光合成エネルギー開発
光飽和点を応用した新技術の一つとして、私たちが検討しているのは、
A)光合成型ソーラーシステム
B)エネルギー変換型蓄電システム
の二つです。
Aについては、まだまだ実用化には時間がかかりそうですが、Bの方は、ここ印西市のような土地なら十分実現の可能性はあります。
実をいうと、今のソーラーパネルはかなり効率がよくて、相当量の電力を稼ぎだしています。むしろ、既存の電力会社が売電・買電という奇妙なカラクリをつかって、せっかく稼げる電力を阻止しているほど。
このことは、再生可能エネルギー産業関連の起業をすればすぐに痛いほどわかります。
電力会社を温存させるためのカラクリなんですね、実は。
それに気づいて、コミュニティー単位で電力を自給自足しようという動きがすでに始まっています。
ソーラーシェアリング
私たちは今、より効率がよく自然環境に親しいソーラーシステムを考えているところです。
その出発点が、昨日ちょっとふれた光飽和点の原理です。
その方策には大きく分けて二つあります。
1)今すぐにでもできる応用策
2)今後開発してゆくべき先進の応用策
1)の代表が、ソーラーシェアリングと呼ばれている方法です。
「ソーラーエネルギー」を、農作物栽培と太陽光発電とで「シェア」するわけです。
よく見かける大量の太陽光パネル設置場所では、地面を更地にしてしまってるでしょう? あれは非常にまずい。実際、水害や地滑りという大災害を招いている例もすでにあるでしょう。
そもそも、あの方式では自然保護とは逆行することになってしまう。
なぜなら、ソーラーパネルの下が不毛の土地になってるからです。
低すぎるんですね、パネルの位置が。
その点、ソーラーシェアリングだと、パネルの下側にも農作物やお花や草なんかも生かすことができる。
思い出してください。
植物の種類によって、光飽和点は異なるのでしたね。
なにを繁殖させるかによって、ソーラーパネルの高さの設定を変えればいいのです。
光飽和点の原理を活用すれば自然は守れる
地球上に植物がいなくなったとしたら?
太陽エネルギーを食料や酸素のある大気に変換してくれる者がいなくなるので、動物も私たち人間も生きてはいけなくなります。
その太陽エネルギーを私たちが生きていくための必須物質と環境に変換してくれているシステムが、植物の光合成ですね。
だから、本当はこの光合成システムを今の電力パワーシステムに代わるものとして創り上げることができれば最高かつ理想的なんだけど、今の人類にはそれだけの叡智も技術もありません。
それどころか、そこのところにシビアな問題意識をもっている専門家もほとんどいない。
それだけに、我々が中心になって今後もっともっと光合成のメカニズムとその応用を真剣かつ大規模に研究していく必要がある。
そういう意味でも自然保護というのは、人類の未来に直結する必要不可欠なタスクなのです。
とはいえ、実際にどうするのか?
今の印西市のように、せっかく自然環境が豊かに残っているのに、なし崩し的に宅地化が進む一方では、いずれ自然環境も破壊されてしまう。
そこでキーワードとなるのが、光飽和点。
中学校でもすでに習っているはずですが、一応ネット上の「世界大百科事典」内の説明を引用しておきましょう。
光の増加とともに光合成速度は速くなるが,ある程度以上光が強くなると,光合成速度は飽和状態に達し,もはやその速度は光の量とは無関係になる。このときの光の強さを〈光飽和点〉,光合成速度を〈飽和光合成速度〉と呼ぶ。 〈光補償点〉〈光飽和点〉〈飽和光合成速度〉は,植物の種によってきまっているが,一般に陽樹のほうが陰樹よりすべての値が高いのがふつうである。
思い出しましたか?(笑)
未来創生コミュニティー
再生エネルギーの最大の問題は、蓄電です。
十分に蓄電さえできれば、既存の電力会社に売電というか、電気を買ってもらう必要もなくなる。
これからは、電気は自前でまかなうことが望ましい。
そういう意味では、印西市は非常に恵まれた条件をもっている。
その一つが、住宅が多いということ。
そして、企業もデーターセンターやロジスティクス倉庫が中心で、工場がほとんどないということ。
さらには、自然保護を目的とする空き地がまだ残っているということ。
これらの好条件を活かすと、エネルギー変換型蓄電が実現可能なのです。
逆に言えば、今の技術では、都市部や寒村地帯では、これが出来ない。
これから徐々にお話ししていきますが、エネルギー変換型蓄電を実現するには、印西市ほど適したところは珍しい。
それだけに、ここでプロトタイプを研究開発し、全国いたるところで実現できるような汎用性のある技術開発をすることで、未来社会に大きな展望を開いていくことができるでしょう。
自由都市になるといいね、印西
今、世界各国で自治の重要性が見直されています。
もちろん日本でも自治権というのはちゃんとある。
各地方自治体は、条例という独自の「法律」をつくって行使することもできる。
市内交通機関なんか典型ですね。市営バスとか、市営電車とかね。
ただ、まだまだ地方自治体として大きな利益を産む産業を実施してるところは少ない。
かつては横浜市などはわりとそのマインドが強かったけれど、最近はどうなんでしょう?
市が稼いでくれれば、地方税は安くなる。
もちろん、雇用も創出できる。
それ以外にも、多くのメリットがある。
税金をふんだくって配分するだけが政治の仕事ではないでしょう。
むしろ主体になって儲けなきゃ。
その点、今、私が注目しているのは、別府市と立命館アジア太平洋大学のコラボです。
よくマスメディアでもとりあげられるのでご存知のかたも多いでしょうが、あの大学があるおかげで、別府市はいろんな形で大きく潤うようになっている。
経済的な側面ももちろんですが、アジア各地からの学生たちが地元とも交流することで、市民にも国際感覚が身に付き、これから世界に雄飛したり発信したりする人たちが増えるはず。
成田にも近いし、羽田だってそこそこ近い、この印西がどうしてそういう国際感覚をもった学校経営に乗り出すなり、誘致するなりしないのか?
むしろ不思議なぐらいです。
あなたも、そう思いませんか?
(これからしばらく印西次郎が担当します)