動物・昆虫・人間
印西太郎です。
今日は日曜なので、ひょうたん山公園(牧の原公園)の周辺道路にはずらり路駐。
けっこう遠くからも遊びにきてる子供連れやペット連れの人たちが。
この間、あの近くを車で走っていたら、
目の前を、キジ(♀)がひょこひょこと横切って行きました。
その動きたるや、バックスバーニーとか昔のアニメの足の動きそのものの高速回転スタイルで、思わず笑ってしまいました。飛べばいいのに……。
でも、無事に横断できてよかった。
たぶん調整池周辺の草むらにお住まいなのでしょうね。
うちの近辺にも、山鳩さんとか、その他かわいい小鳥さんたちはときどきやってきますが、キジをみたのははじめてかな?
あと、綺麗なアゲハ蝶がよく飛んでます。
大きく羽を広げて高い草のてっぺんにとまってディスプレイしてるみたいだったり。
ひとと他の生き物たちと共存できる環境、やっぱいいですね〜♬
たいせつにしていきましょう。
運動会の騒音について
運動会シーズンになるたびに気になることが。
それは、近隣に住んでいる人たちの日常生活を考慮したうえで騒音を発しているのか、それともまったく意識すらせずにやっているのかということです。
以前、幼稚園の騒音というのが全国的な問題になって、賛否両論・喧々諤々の論議が買わされたことがありますが、いつのまにか聞こえなくなってますね。
子供が騒ぐのは当たり前。
運動会でマイクを使って右翼宣伝カー以上の音量を上げるのも当たり前。
そうなのかもしれません。
ただ、ある程度以上の音で心臓や血圧が異常をきたすという体質の人たちも少なくないという現実は、きちんと子供たち全員に教えておきましょう。
そのうえで、太鼓を叩くなり、大声をスピーカーでさらに拡大するなり、するならすればいいでしょう。
日本では、少数者は我慢しなければならないというのも、きちんと教科書に明記しておきましょう。
いじめというのは、本人(たち)が意識もしないで無神経にやっていることも多いですよね。学校という組織そのものが、そういう体質なのですから、内部でいじめが起きないほうが不思議というものです。
日本の学校、特に体育会系の教育は、戦前からの軍事教育の悪しき常識を根深く引きずり続けています。
スポーツの世界でも、最近になってやっと軍国主義的な異常な体質が露呈されてきていますが、いったんその内部にはいってしまうと、それが当たり前という錯覚に陥ってしまうんですね。ちょうどカルト集団のように。
以上、印西次郎でした。
虚空窯陶芸教室作品展
印西太郎です。(笑)
ジョイフル本田 ジョイフル2 ギャラリーで開かれている
虚空窯陶芸教室作品展
を鑑賞してきました。
いつも通り偶然って感じで立ち寄ってみることにして、入る前には
ちょっとした愛好会の発表会みたいなものなのかな
と軽く考えていたのですが、
いざ拝見してみると、
すごい作品がいくつもありました。
特に奥の棚のマグカップ群はどれもぐっと味があるものばかり。
…と思って観ていると、女の人が奥から出てらして、
白次丈治郎さんのお作と教えてくれました。
この陶芸教室の先生で、長いキャリアをもつばかりか、
特殊な窯焼きの技法を編み出されて陶芸専門誌でも紹介された方とのこと。
陶芸教室を始めて28年、お弟子さんたちの作品もなかなかのもの揃い。
静かに見入っていると、深い味わいが伝わってきます。
11日火曜日まで(最終日は午後4時まで)開催されていますので、こちら方面にいらしたら、ぜひ立ち寄って見られるといいですよ。
北海道大地震
被災された方々、本当に大変だと思います。
水道や電気などのインフラ復旧もまだまだのようですし、これから余震も心配でしょう。
阪神淡路大震災、東日本大震災と、今はいつどこで未曽有の天災に見舞われないとも限らない状況です。
最近では各地で大水害が発生していて、避難している人たちの報道映像を見るだけでも、この平穏な日常がいつ突如として破られるかわからないという実感がひしひしと迫ってきます。
逆に言えば、それだけ日常生活って貴重でありがたいものなんだと思います。
それと、いざとなったときに、しばしば命に係わるほど重要なことは、情報ですね。
どこへ避難すればいいか、どこで生命を保持する手立てを得られるかなど、広い意味で助けを得ることができる情報。
それは公共機関や報道機関だけでは賄いきれない。
むしろ日常的につながっている人同士が、それぞれ個人の事情や状況(これもまた重要な情報ですね)を弁えたうえで必要不可欠な情報を伝え合う。
それはまた精神的な力や支えにもなるでしょう。
何も起きなければ、一人で生きていくことも可能かもしれませんが、それが困難になったとき、自分とつながりを持っていてくれる人たちがいるということがどれほどありがたいことか身にも心にもしみてくるはず。
そういう意味でも、お金を介さなければ何もできないような今の経済哲学から自由になって、心が通じ合う経済社会をつくっておく必要があると思います。
地域通貨について
地域通過って、聞いたことあります?
例えばWikipediaでは、
(略)NHKのドキュメンタリー番組『エンデの遺言』で紹介されて話題になった。
その価値を認めるもの同士での贈与、サービスとの交換、売買が可能である。なお、使用の促進を促すべく負の利子がつく場合や一定期間ごとに価値が無くなる場合もある。
中央銀行ではなく、個人やNPOや労働団体や企業が発行する。現在、地域のコミュニティ活性化のために地域限定で、相互支賦与、支援の代償として地域通貨を期限限定で導入する動きがある。
発行形式は、紙幣形式、カード形式などがある
という風に紹介されています。
でも、私が思う地域通貨は、むしろ 萬(よろず)に近いものです。
全国の地域通貨ブームが下火のなか
藤野地区の「萬」はなぜ拡大している?
というタイトルで、ダイヤモンドオンラインでも四年まえに(笑)話題になっていたようですが⋯⋯。
検索してしてみるとまだ出てくるので、興味あるかたはどうぞ。
その骨子は、心の通貨ってことなんですね。
萬っていうのはいわばポイントですが、紙幣やカードが発行されるわけではない。
メンバー一人ひとりが通帳を持ってて、それにプラス何点とかマイナス何点とか記入していく。
何かしてあげると、プラスに。
何かしてもらうと、マイナスに。
それが原則。
最初に、自分ができることを登録してしておく。
してもらいたいことがあったら頼んでしてもらい、プラスポイントを記入してあげる。
そのかわり、自分の通帳にはマイナスポイントがつく。
別にマイナスばかりでもいいんですね。
全体としてつねにプラマイゼロ。
私は、この原理をもっと広くパフォーマンス的に広げて行ったらどうかと考えています。
共有経済って何?
前回は、長すぎて読みにくかったでしょう?
すみません。今回からは少し抑えめにメリハリをつけながら書いてみます。
さて、前回お話しした「信頼関係経済」の一例としては、
ヨーロッパで急速に広まっている共有経済が有名ですね。
その中心地の1つがオランダでは、ありとあらゆる日用品を無料で貸し借りするシステム頑張って整っている。
2010年代初頭にアムステルダムから始まったムーブメントです。
一昨年の統計によると、人口の5%にあたるおよそ40,000人が登録。
2015年に貸し借りされた品物の総額はおよそ10億ユーロにも上り、前年の五倍。
というふうに、すごい勢いで広まっている。
オランダではもっともポピュラーな乗り物である自転車はもちろんのこと、自動車もシェア。日常的なシェアとしては、食事のお裾分けシステムがあって、これは材料費程度の対価を支払うことになっているようです。
このシェアシステム、もちろん日本などでも普及し始めてはいるけれど、ちょっと事情が違う。
「ああいうシステムを使って儲けることもできる!と気づいた起業家たちが、それをビジネスモデル化していっているだけで、市民的な盛り上がりは(のちに言及する一部都市部でのシェアハウスを別にすれば)あまりない。
つまり、起業家たちの思惑に反してオランダほどの広がりはみられないし、このまま商売ベースのままだと、たぶんこれからもそんなにメジャーな産業にはならないでしょう。
それはなぜかというと、昔の日本には広く深く根付いていたはずの信頼関係が薄れてきてしまっているからではないかと思います。
だから、一つのモデルとしてここ印西市でアムステルダムのシェアシステムを参考にした独自の信頼関係経済をつくっていてはどうかと思って、このシリーズを書かせていただいてます。
「相互信頼」はお金よりはるかに価値がある
ふたたびピンチヒッター印西次郎です笑い
そもそもこのブログの発端は、印西太郎さんが落とした五万円が、そっくりそのまま戻ってきたことに感激されたことでしたよね。
私たちも、その話を聞いてほっこりしたものでした。
当たり前っちゃ当たり前のことなんだけど、今時の世の中では珍しいことかもしれない。その根本にあるのが、「人間が人間を信頼できる社会」ですね。
世界を見渡すと、人間同士が信頼しあっている社会はとても少ない。
でも、信頼しあえる人間同士が独自のコミュニティーやネットワークをつくっている事例は驚くほど多い。ただ、一般にはあまり知られてないだけで。
というか、気づいてないんですね。
本来、家族というのはその原型でしょう?
信頼しあっているから、いちいちお金や契約書をとったりしない。
それが、家族ぐるみで親しくしている人たちにもいえる。
さらには、家族ぐるみで親しくしている家族グループ同士が、趣味などの共通関心を通じてネットワーク化して、持ち寄りパーティーなんかをする場合でも、物に料金や会費をとったりもしない。
特に自給自足生活志向の人たちの持ち寄りパーティーなんて、すごい! 市場経済に依存してる一般人たちなんて一生得られないような自然な美味しさの食材で、ヘルシーかつ温かい気持ちのこもったお食事がいただけたりする。
まあ、すべてが理想的とまではいかないにしても、少なくともそういう可能性はある。
もうひとつ、非常に大きなポイントがある。
それは、そうした相互信頼経済社会では、税金が発生しないってことです。
たかが一割(いまのところ一応8%ですが、すぐに1割になるはず)とあなどっていてはいけません。
ある家を建てるのが趣味のグループが、メンバーの邸宅を協力しあって建てていますが、建材などの材料費には税金が発生するものの、労働力や営業費にかかる数百万円の税金が不要なので、その一部をプールしてメンバー全員の老後資金積み立てやクルージング費用に充てている。
ちなみに、住宅販売会社における宣伝営業費の平均額は販売額のほぼ4割だそうですが、ご存知でした? つまり、3000万円の家を購入するということは、1200万円の宣伝営業費を支払い、なおかつ300万円の消費税、さらには取得税その他もろもろ、合計で下手すると2000万円にもなろうとするコストを家そのものと別に支払うことになるわけです。
そういう支払いは無意味で理不尽だという「哲学」を持っている人たちは、今紹介したようなグループをつくって、ムダ金を使わずに楽しく暮らしている。
ちなみに、彼らはさらに先のこともちゃんと考えていて、日本の政府がそういう活動にまで重税をかけてくるようなら、みんなで国外移住することに決めていて、着々と準備をすすめているそうです。今でもいわゆる富裕層は日本からどんどん逃げ出している現状を見れば、当然の対策かもしれませんね。
残された我々のような市民たちにかかってくる税金は、それによってさらにさらに重くなる一方でしょうけど、逃げていく人たちを責める気にはなれませんね。
それよりは、私たち自身が、不必要かつ理不尽な重税に苦しまられ続けないような政経モデルを考えて実行していく方がはるかに得策だし、生きがいにまでつながると思います。