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働かない者は食ってはいけない?

昨日、ちょっとロングハウスでの生活スタイルに触れましたが、そのときのポイントは、日本社会の用語でいえば、扶養家族がいっぱいいるということでした。

太平洋の島々なんかでは、今でも食事の時だけやってくる赤の他人がぞろぞろいたりするらしいですが、日本の場合は基本家族内だけに限られている。

しかも、一昔前だとパラサイトといわれ、大昔には親のすねかじりと呼ばれていた扶養家族が、日本ではかなり一般的になっている。

にもかかわらず、そのへんの立ち位置が曖昧なままというか、道徳的に否定的だったり、社会問題としてパラサイト側が今後どうやって暮らしていくかという深刻な問題があったりする。

 

ちなみに、働かざるもの食うべからずというのは、もともとキリスト教の考え方で、その起源を訪ねると、利子で生活してはいけないということだったそうです。

だから、いわゆる資産家で不労所得だけで充分贅沢に暮らせるなんて、そんなんで食ってる、つまり暮らしてるなんて、罪悪だということになる。

それをきっちり当てはめるとしたら、株式投資だの金融資産だのその他いわゆる富裕層の多くは罪人として餓死しろってことになっちゃいますね。(笑)

ま、決していま普通に解釈されているような意味ではないことは確かです。

 

だいいち、働かざるもの食うべからずというのが社会的合意になっていくなら、福祉は否定されてしまう。

ただ、福祉という場合、働かない人と、働けない人を区別して、後者のみを対象として考えられている。

ところが、この差は意外と曖昧なんです。

働けない人というと、身体的精神的あるいは年齢的に働くことが困難な人というふうに思われているでしょうが、社会の側で条件を整えると、かなりの人が働けるようになる。

一方、いわゆる働かない人でも、社会が金銭的価値を認めていること以外のことを、それこそ一般的な意味で働いている人よりはるかに労力や才能を注ぎ込んでいる場合もある。

もうひとつ、働かない人のなかには、ネトゲオタクやアルコール依存症のように、なんらかの中毒になってしまって働く気をなくしている場合もある。こういうケースでは、本人も苦痛で、心理の底の部分では働きたいのにというマインドがあることも少なくない。

 

つまり、社会的な価値観(哲学)と、個人的な価値観(哲学)とのギャップが大きくなるにつれ、働かない人と働けない人の境界がぼやけるどころか、「人」という側面で分類することができなくなっていくのです。